2つのお話をご紹介いたします。
皆様それぞれに感じていただければ幸いです(^o^)
1つ目のお話
とある有料老人ホームに母親を入所させたという女性の話。
爪切りの話がとても切なかった。
ある日、面会に行くと母親の爪が伸びていた。
自分で切ってあげてもよかったのだが、職員が切ってくれることを期待して何も言わずに帰った。
数日後面会に行くと更に伸びていた。
次の面会のときもそうだった。
女性は根負けして職員に爪切りを借りた。
職員はニコニコしながら貸してくれた。
その笑顔が女性をさらに悲しくさせた。
入所者の爪が伸びていることに気づかなかったということに申し訳なさを感じている様子が微塵にも感じられなかったから。
入所者の身辺に起きる不都合に気づかないことが介護者にとって重大な問題であるが、そのことにこの施設の職員は気がついていない。
それが彼女にはとてもショックだった。
2つ目のお話
その女性は25歳で結婚し、2年後に男の子を出産した。
その半年後に夫が病に倒れた。
彼女は生後6ヶ月の息子を保育園に預け、働きに出ることになった。
毎朝、保育園の先生に息子を託す。
烈火のごとく息子は泣く。その泣き声を背に駅に向かう。
そんな日々が始まった。
夫は息子が1歳を迎える前に亡くなった。
子供の毎日の体調を保育園の連絡帳に記入する。
汚れた着替えを持ち帰る。
お昼寝用の布団カバーを交換する。
そんなこまごまとしたことがつい抜けてしまう。
仕事も育児も中途半端。
彼女はだんだん自分が嫌いになっていった。
0歳の息子を受け持ってくれたのは自分と同じ年の先生だった。
ひまわりのように明るいその先生を、彼女は「ひまわり先生」と呼ぶようになった。
そして、ひまわり先生の「いってらっしゃい」という明るい言葉に何度も何度も励まされた。
ある日、お弁当が必要なのに寝過ごしたことがあった。
慌ててコンビニでサンドイッチを買い、息子に持たせた。
その時彼女は初めてひまわり先生の前で泣いた。
ひまわり先生に「ちゃんとできなくてもいいじゃないですか。ちょっとずつ良くなっていけば・・・」と慰められた。
そんなこんなで5年が過ぎた。
ある日、彼女はとんでもないことに気がついた。
「この5年間、自分は一度も息子の爪を切ったことがない」
しかし、息子の爪を見るときちんと切り揃えられている。
息子に聞くと、「ひまわり先生が切ってくれるよ」と言う。
そしてこうも言った。
「ママが遅くなるときは耳そうじもしてくれたよ」と。
驚きと感動で言葉を失った。
「そういえば・・・」と気づくと彼女はもっと奇跡的なことに気づく。
0歳から5歳までひまわり先生が息子の担任だったこと、そしてその5年間、ひまわり先生はただの一度も休んだことがなかったことに。
卒園式を待たずしてその母と子は引っ越しすることになり、保育園も泣く泣く退園することにした。
園長先生にあいさつに行った。そこで初めて、ひまわり先生も幼い頃に父親を病気で亡くしていること、ひまわり先生がずっと担任だったのは園長にそれを希望していたことを知った。
親は何年経っても未熟さの域を超えられないものである。 その女性も自分の未熟さに心が折れそうになったことが何度もあったという。その度に、 何も言わず息子の爪を切ってくれたひまわり先生の笑顔を思い出していた。
〈引用:みやざき中央新聞より〉
この2つのお話を比較すると、ひまわり先生のプロとしての気づき力と実行力、そしてそれを裏付ける人間力に感動します。
今日、これを書いているときに偶然にも、弘子さんが注文した、赤ちゃん用にしては少し大きめな首掛け型のエプロンが届きました。
胸の部分には「すみよ」と名入れ。
食事をこぼしがちなおばあちゃんのものです。
食事で前を汚すおばあちゃんのために注文していたのでした。
89歳の「すみよ」さん。
爪にはかわいくネイルが塗られていて、その手で弘子さんに補助してもらいながら夜はお肌のお手入れを欠かしません。
気づいて黙って実行するって、愛情を積み重ねることなのですね。 〈裕〉