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「ありがとう」の語源

みなさんこんにちは。寒くなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
早いもので今年も残すところ約1ヶ月となりました。新型コロナウィルスの感染拡大により日常生活が大きく変化した年でした。
自粛と経済活動の間でなんとも複雑な思いを抱えている方も多いのではないでしょうか。

でも、こんな年だからこそしっかりと一年を振り返りたいと思います。

私がこの一年で最も感じたことは「感謝」。

コロナ感染拡大による緊急事態宣言、活動自粛といった、初めて経験する不安に満ちた生活、お店の営業体制については、美容スタッフの勤務時間短縮そして自宅待機。十分なおもてなし、サービスができない状態を余儀なくされました。

しかし、そのような状況にあってもお客様にはご来店をいただいたり、お電話でご用命いただいたり、本当にありがとうございました。

また、好きな時に好きな場所へ行くこと、大切な仲間と食事すること、都内で暮らす娘に会いに行くこと、娘が東京から帰省すること、学生が普通に学校へ通うこと。。。挙げればきりがありませんが当然のこととして営まれていた平凡な日常がどれほど有り難いことか。

そこで、「ありがとう」の語源を調べてみました。
すると答えは仏教の世界にありました。

お釈迦様が説かれた「盲亀浮木(もうきふぼく)の例え」に「ありがとう」の語源がありました。
それは、お釈迦様が、阿難というお弟子になされた、こんな例え話です。

お釈迦様  「そなたは人間に生まれたことをどう思っているか」
阿難      「大変喜んでおります」
お釈迦様  「では、どれくらい喜んでいるか」
阿難      「どれくらいと申しましても……」
お釈迦様  「では、人間に生まれることはどれほど有難いか、たとえをもって教えよう」

そうおっしゃって、お話しされたのが盲亀浮木の例えです。

お釈迦様  「果てしなくひろがる大海原を思い浮かべるがよい。その底深くに、目の見えない一匹の亀(盲亀)がいる。その亀は100年に一度、海面に顔を出す。一方、海面には一本の丸太棒が浮いている(浮木)。その丸太の真ん中に拳くらいの大きさの穴が空いている。丸太は波のまにまに風のまにまに波間をただよっているのだ。阿難よ、この眼の見えない亀が、浮かび上がったとき浮木の穴に、ひょいと頭を入れることがあるだろうか。」

阿難    「さようなことはとても考えられません」

当然でしょう。太平洋のような広い海ですから、亀は日本の近くにいて、丸太はアメリカ近辺に浮いているかもしれません。風呂の底からピンポン玉を浮かび上がらせて、浮かばせている小さなおもちゃに狙いを定めても、簡単には当たってくれません。まして、この亀は目が見えませんので、丸太の穴どころか丸太自体を目指すこともできないのです。しかし、お釈迦様はなおも尋ねられます。

お釈迦様  「絶対にないと言いきれるか」
阿難    「絶対にないとはいいきれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
お釈迦様  「ところが阿難よ、人間に生を受けることは、この亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなのだ。有り難いことなのだよ」

「有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことを言います。人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと、お釈迦様は教えさとされているのです。
これが「ありがとう」の語源なのです。

ありがとうの反対語は「あたりまえ」。
何事もあたりまえと思ってしまうと感謝の心もなくなってしまいます。日常の暮らしの営みは、決してあたりまえではなく有り難いことばかりなのです。

旧暦で12月は師走といいますが、一年の邪気を払い除き、新年を迎える「徐(じょ)月(げつ)」とも表現します。邪気を払うために一年をしっかり振り返り、けじめをつけ新年を迎えたいものです。

「感謝」は、もちろんのこと、笑顔で過ごせたか、お世話になった方へ挨拶はできているか、好奇心や探究心をもって物事に取り組めているか等。ただただ反省ばかりが押し寄せます。

今年も残り約1ヶ月と少し。しっかりと生きていこうと思います。
皆様の健康を心からお祈りいたします。

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