みなさん、こんにちは。マッキーです。いつの間にかすっかり秋ですね。急激な気温の変化で体調を崩している人が少なくありません。どうかご自愛くださいね。
わたくしごとですがついに50歳になりました。 丈夫な身体でこの世に送り出してくれた両親、いつも支えてくれる家族、お世話になってきた多くの人立ち、友人、たくさんさくさんの愛情によってここまで元気に生きてこられたと感謝感謝です。
先日ある新聞にこころ温まる記事が掲載されていたので要約してご紹介させていただきます。愛情の大切さがヒシヒシと伝わります。
その話は、スラム街で育った少年とその担任の先生のお話。
その女性の先生は、少年が4年生のときの担任でした。その先生は、クラスの中でその少年だけをどうしても好きになれなかったというのです。なぜなら、いつも汚い格好をして、授業中はいつも居眠り。何を言っても反応がないし、疲れ果てたような顔ばかりだったからです。
ある日、その先生は過去の学籍簿を調べてみました。1年生のときの学籍簿には「優秀で素直ないい子。この学校の誇りです」と書いてありました。 先生は驚いて、今度は2年生のときの学籍簿を見てみました。すると「お母さんが病気になり毎日が大変らしい。それでもめげず、よく勉強しています」 とありました。しかし、3年生の学籍簿には「母親死亡。父親がアルコール中毒になった」と。それを見て先生は、歳の男の子がどんな毎日を過ごしているか、その背景など想像もしなかった自分の力の足りなさを思い知るのでした。
その日は、翌日から長期休暇に入るという日。
先生は少年に言いました。「先生は休みの間、学校に来る日が多いから、もし家にいるのが大変だったらここに来て勉強する?」と。彼の目がパッと輝いたのです。少年は休みの間中、学校にきて、先生の横で勉強しました。ある時、少年がふと「今日は僕のお誕生日なんだ」と言ったんです。その子にとって、心を開いた最初の扉だったと思います。病気になったお母さんの面倒を一生懸命みていたのに、お母さんは死んでしまい、お父さんはアルコールに溺れている。そんな辛い生活の中で先生が声を掛けてくれて、少年は自分が先生に受け入れられたと思ったのでしょうね。
夕方、先生は小さい花束とケーキを持って少年の家を訪ねました。汚れた暗い部屋に一人ぽつんと座っていた少年は、先生の姿を見て子どもらしい笑顔を見せました。
しばらくして先生が帰ろうとしたら、少年は部屋の奥から小さいビンを持ってきました。
「これ、先生にあげる」と言って差し出したビンは、ふちが蝋(ろう)で閉めてありました。
先生はそれをもらって帰り、蓋を開けてみました。中は香水でした。お母さんが使っていた香水だったのです。きっと彼にとって唯一の宝物だったのだと思います。先生は香水が逃げないようにまた蝋を垂らし、きちんと蓋をしました。学校が始まってからも、少年は勉強を続け、成績がどんどん伸びていきました。そしてその子が6年生になるとき、先生の転勤が決まりました。
しばらくして、先生はその少年に手紙を書きましたが、なかなか返事が来ませんで。気にはなりながらもその少年とは縁が切れたような気持ちでした。
そんな時、一通の手紙が来て、そこにはこう書かれてありました。
「先生のおかげで高校に入学できました。奨学金をもらえたから、とてもいい高校に行くことができました」
3年後、今度はカードが届きました。
「父はまだ大変な状態ですが、父から離れて寄宿舎に入って高校を無事に卒業することができました。卒業後は○○大学の医学部に進みます 」と書かれていました。
先生は「もうこの子は大丈夫だ」と思いました。
そして、10年近く月日が流れ、少年のことを忘れかけていた頃、一通のきれいな封書が届きました。
それは結婚式の招待状でした。
「先生のおかげで僕は医師になり、素敵な人と結婚することになりました。ぜひ結婚式に来てください」
先生は感動して、しばらく手紙を握りしめたまま、立ち尽くしました。
結婚式の日、先生は大事にしまっていたあのビンを出してきて、蝋を切って蓋を開け、底のほうに少しだけ残っていた香水をつけました。
式場へ行くと、立派な医師に成長したあの少年がハグをしてくれました。かつての少年の姿が先生の脳裏によみがえり、「よくぞここまで頑張ったね」と心の底から祝福の言葉を贈りました。
彼は先生を抱きしめて、嬉しそうにこう言いました。
「あぁ、お母さんのにおいだ」
そして、「お母さんが生きていたら、お母さんに座ってもらう席でした」と言って、自分の隣の席に先生を座らせたそうです。
これは実話です。熱いものがこみ上げてきますよね。これまでたくさんの愛情を注いでもらった多くの方々に感謝せずにはいられません。健康な身体には健康な心が必要です。そんな心の栄養、それが愛情ではないでしょうか。